在来老齢って何?わかりやすく解説

大人たちの話を聞いていると「昔と今では、おじいちゃんおばあちゃんの人生が全然違うんだよ」って言われたことない?定年退職したらずっと家にいるイメージ、昔はそれが当たり前だったんだ。でもいまの高齢者を見ると、70代でも80代でも働いている人、やることを持っている人がいっぱいいるよね。こういう「昔ながらの老後の過ごし方」のことを「在来老齢」って呼ぶんだ。この記事を読めば、今の時代になぜこの考え方が変わってきたのかがわかるよ。

先生、「在来老齢」って何ですか?初めて聞く言葉です。

いい質問だね。在来老齢(ざいらいろうれい)っていうのは、「これまでの、昔ながらの老年期のすごし方」という意味なんだ。つまり、定年で仕事をやめて、年金をもらいながら家で過ごす、そういう生活パターンのことだよ。
あ、そっか。でも今、おじいちゃんおばあちゃんでも働いている人、いっぱいいますよね。それも在来老齢なんですか?

そこが大事なポイント。70代や80代で仕事をしている人たちは、昔ながらの「在来老齢」のスタイルから抜け出ているんだ。人生が長くなったり、社会が変わったりしたから、新しい老年期の過ごし方が出てきた。だから「在来老齢」と言うと、今はちょっと古い考え方という意味になることもあるんだよ。
なるほど。では「在来」という言葉の意味は?

在来」は「これまでのところの、従来の」という意味の言葉だね。新幹線と在来線という言い方を聞いたことない?在来線は「これまでの、昔からある線路」という意味だ。だから在来老齢は「これまでのところの、従来の老年期」という意味になるわけ。
📝 3行でまとめると
  1. 在来老齢は「従来通りの老年期」のこと、つまり定年退職後に仕事をやめて過ごすスタイル
  2. 昭和の高度経済成長の時代に「当たり前だった人生モデル」を表す言葉
  3. 人生100年時代になって、このモデルは今変わり始めているという背景がある
目次

もうちょっと詳しく

「在来老齢」という概念は、高度経済成長期(昭和30年代~40年代)に日本で確立した人生モデルを指しています。その時代、多くの人たちは定年を迎えると仕事をやめ、年金生活に入るという流れが「標準的な人生」とされていました。働く時間と老後がはっきり分かれていて、老後は「静かに過ごす時間」という位置づけだったんです。しかし現在は、65歳や70歳になっても働き続ける人、新しいキャリアを始める人、やりたいことを追求する人が増えてきました。

💡 ポイント
「在来」は英語の「conventional」(従来の)という意味。新幹線と在来線のように、「昔からの、これまでのところの」という対比概念として使われます。

⚠️ よくある勘違い

❌ 「今も多くの高齢者が在来老齢で生活している」
→ 確かに年金で生活している人は多いですが、同時に働き続ける高齢者も急速に増えています。「在来老齢」という言い方は、昔の標準的なモデルを指すので、今はこの言葉自体が「古い考え方」として扱われることが多いです。
⭕ 「在来老齢は『昔の時代の老年期スタイル』を表す歴史的な概念」
→ 現在は「人生100年時代」「アクティブシニア」「生涯現役」など、新しい老年期のあり方が注目されています。在来老齢という言葉は、その対比として使われ、時代の変化を表すキーワードになっているんです。
なるほど〜、あーそういうことか!

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在来老齢とは「定年後は仕事をやめる」という昔の人生モデル

「在来老齢」という言葉を理解するためには、昭和の時代に「どんな人生が標準的だったのか」を知る必要があります。高度経済成長期から1990年代くらいまで、日本人の人生は決まったパターンが当たり前でした。それは、学校を卒業して企業に入り、その企業で定年(当時は55歳や60歳)を迎えるまで働き続け、定年を迎えたら仕事をやめて年金で暮らす、という流れです。

このモデルでは「人生」が二つのはっきりした段階に分かれていました。一つ目は「働く人生」、二つ目は「働かない人生」です。最初の段階では一生懸命働いて、家族を養い、貯金をします。次の段階では、その貯金と年金をもらいながら、ゆっくり過ごす。おじいちゃんおばあちゃんになったら、家で孫の相手をしたり、庭の手入れをしたり、そういう時間を持つ。それが「いい人生」だと考えられていたんです。

「在来老齢」という言葉は、この「仕事をやめたら、そこからは働かない生活をする」という考え方を指しています。つまり、昔のテレビドラマや映画に出てくる「定年を迎えたおじいさんが、家でのんびりしている」という景色が、そのまま在来老齢だと思えばいいんです。戦後から1980年代くらいまで、日本の多くの人たちがこういう人生を歩んでいました。企業も政府も、「定年で仕事をやめるのが当たり前」という制度を作ってきたからです。年金制度も、「60歳や65歳で仕事をやめたら、そこからお金を支給する」という仕組みだったんですから。

でもこれって、実は自然な人生の流れじゃないんだ。人間の寿命が短かった時代だからこそ、「働く時間」と「老後」がはっきり分かれていたんです。昭和初期の平均寿命は40代、戦後も50代でした。だから「定年で仕事をやめて、残りの人生を静かに過ごす」ということが実現可能だったんですね。おじいちゃんおばあちゃんになってから、10年~15年くらい生きるというイメージだったわけです。

在来老齢という考え方は、こういう時代背景の中で生まれた概念なんです。「これが人間の当たり前の人生だ」と思われていたから、特に言葉で説明する必要もなかった。でも時代が変わり、新しい老年期のあり方が出てくると、「あ、昔のあり方を『在来老齢』と呼ぶようになったんだ」というわけです。

なぜ在来老齢という言葉が出てきたのか。人生100年時代の到来

在来老齢という言葉が注目されるようになったのは、ここ20年くらいのことです。それはなぜか。日本人の寿命が劇的に長くなったからです。平成時代から令和時代にかけて、日本の平均寿命は80代になりました。女性は85歳を超えています。これは医学の進歩と、健康的な生活習慣の改善によるものです。

寿命が長くなると、何が起きるか。「定年で仕事をやめたら、そこから20年~30年、あるいは40年近く生きることになる」という状況が出現するんです。昭和の時代は、定年から10年くらいで人生が終わることが多かったから、「老後は余生」という感覚がありました。でも今は違う。70歳で仕事をやめても、90歳まで20年間も時間があります。それを「何もしないで過ごす」というのは、現実的ではないし、本人たちも退屈なんです。

そこで経済学者や社会学者が注目するようになったのが、「人生100年時代」という概念です。この言葉は、人生を三つの段階で考えようという提案なんです。第一段階は「教育と成長の時期」(0~25歳くらい)、第二段階は「仕事とキャリアの時期」(25~65歳くらい)、第三段階は「新しい活動と貢献の時期」(65歳~)という分け方です。この新しい考え方が出てくると、「あ、昔の在来老齢の考え方は、もう古いんだな」と気づかれるようになったわけです。

在来老齢では「老後は休息」と考えられていました。でも人生100年時代では、「老年期も人生の大切な時間で、やることがいっぱいある」と考えるんです。仕事で培ったスキルを活かしてボランティアをする人、新しい趣味や勉強を始める人、孫の教育に関わる人、フリーランスとして仕事を続ける人。こういう「活動的な老年期」が、在来老齢と対比されるようになりました。

つまり、在来老齢という言葉が注目されるようになったのは、その逆である「アクティブな老年期」という新しい考え方が出てきたからなんです。昔の標準を「在来老齢」と呼ぶことで、「今は時代が変わったんだよ」というメッセージを伝えようとしているわけです。

在来老齢のころは「定年=人生の終わり」のように感じられていた

昭和の時代、定年を迎えるというのは、今の私たちが考えるよりずっと大きな出来事だったんです。それは「人生が終わる」くらいの衝撃があったんです。なぜなら、多くの男性にとって、人生の大部分が「仕事」だったからです。朝早く起きて出社して、夜遅く帰宅して、週末も会社の付き合いで忙しい。人間関係も、ほとんどが職場の人間関係。趣味も休日も、仕事中心の生活が基準になっていたんですね。

そんな生活を何十年も続けてきた人が、突然「明日から来なくていい」と言われるんです。毎日の目的がなくなる。朝起きる理由がなくなる。社会的な立場も失われる。「田中さん」という会社員は終わって、ただの「田中さん」になってしまう。これって、心理的には非常に大きなショックなんです。

在来老齢の考え方では、この段階を「余生」と呼んでいました。「人生の終わりの時間」という意味ですね。だから多くの高齢者は、定年後に「何をしたらいいかわからない」という喪失感を感じていたんです。会社員時代の充実感が失われて、新しい生きがいを見つけられない。年金で物質的には困らないかもしれないけど、精神的には充実していない。これが在来老齢の人たちが直面していた課題だったんです。

だから昭和~平成初期の日本では「定年后症候群」という言葉も出ました。定年を迎えた直後に、うつ病になったり、体調が悪くなったりするという現象です。心理的な喪失感が、そのまま体に表れるんですね。在来老齢のモデルは、本当は人間にとって自然な人生の流れじゃなかったんです。ただ、平均寿命が短かった時代には「仕方ない」と受け入れられていただけなんです。

今、在来老齢は「古い考え方」としてあつかわれている

現在の日本では、在来老齢という考え方は「古い」とされています。なぜなら、高齢者たちの人生観が大きく変わってきたからです。まず、経済的な理由があります。昭和の企業年金制度は、企業が多くのお金を従業員の年金に使っていました。だから「定年でやめても、ちゃんと年金がもらえる」という安心感があったんです。でも令和の現在、その企業年金制度は崩壊に近い状態です。年金だけでは生活できない人がいっぱいいるし、年金受給年齢も引き上げられています。

だから、生活のためにも仕事を続けなければならないという経済的な圧力があるんです。でも同時に、それが悪いことばかりではないことに気づいた人も多いんです。仕事を続けることで、社会とのつながりができる。毎日の目的ができる。やりがいを感じることができる。こういうメリットが分かると、「在来老齢みたいに完全にやめるのではなく、自分のペースで仕事を続けたい」という希望が出てくるんですね。

また、健康寿命が延びたことも大きい。健康寿命っていうのは「健康で、介護を受けずに生活できる期間」のことです。昭和の時代は、65歳を超えると介護が必要になることが多かったんです。だから「老後は静かに過ごす」というのが、ある意味で現実的だったんですね。でも今は、80歳でもぴんぴん元気な人がいっぱいいます。そういう人に「仕事をやめなさい」「外に出ずに家にいなさい」と言う方が無理なんです。

さらに、社会の価値観も変わってきました。昭和は「階級社会」的な側面が強かったんです。「会社員だから偉い」「定年で終わり」という固い枠組みがあった。でも今は「自分らしい生き方」を重視する時代になりました。70歳でも80歳でも「自分がやりたいことをやる」というのが、一つの人生の成功モデルになっているんです。

だから「在来老齢」という言葉は、今では「昔のやり方」「固い考え方」という意味で使われることが多いです。学者や記者が「在来老齢から脱却する必要がある」と言ったり、企業が「在来老齢型の人事制度を改革する」と言ったりします。つまり、その言葉を使うこと自体が「昔はこうだったけど、今は違う」というメッセージを含んでいるんです。

在来老齢を知ることで「人生って変わるんだな」が見える

なぜ中学生の君たちが「在来老齢」という言葉を知る必要があるのか。それは、自分たちの祖父母の世代と、親の世代、そして自分たちの世代で「人生のあり方」がこんなに違うんだということを理解するためなんです。

おじいちゃんおばあちゃんの世代は、在来老齢の枠組みの中で人生を生きてきました。「定年で仕事をやめるのが当たり前」「老後は家族と一緒に静かに過ごす」という前提で人生設計をしてきたんです。だから、仕事をやめた後に「何をしたらいいかわからない」という人が多かったし、その段階で人生の充実感を感じるのが難しかったんですね。

でも今のお父さんお母さんの世代から、その考え方が変わり始めています。「仕事をやめてからも、何かやりたいことをやろう」「人生100年だから、いろいろなキャリアを経験しよう」という考え方が出てきた。そして君たちの世代では、もっと多様な人生が当たり前になるんです。

つまり、在来老齢という言葉を知ることで「人生って、その時代の条件で大きく変わるんだ」という社会理解ができるんです。昭和は「一つの企業で定年まで働く」が当たり前だったけど、令和には「いろいろな経験をしながら、最後まで社会とつながる」が新しい当たり前になってきました。

君たちが大人になって、80代になったとき「あ、在来老齢って昔の考え方なんだ」と思うかもしれません。その時には、もっと新しい人生モデルが出ているかもしれないんです。人間は誰でも年をとります。だからこそ「人生の後半をどう生きるのか」という問題は、誰にとっても大切な問題なんです。在来老齢の話を通じて、その大切さに気づくことが、実は大事な学習なんですよ。

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この記事を書いた人

大人になってから「これ知らなかった…」と恥ずかしい思いをした経験から、このサイトを作りました。お金・仕事・社会のしくみって、学校で教えてくれないのに知らないと損することだらけ。むずかしい言葉を「あーそういうことか!」って思えるまでかみ砕いて説明するのが得意です。主に経済・法律・税金・ライフイベント周りの用語を毎日更新中。

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